映画エッセイ 第8回「あなたの番です」

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博士、いま思い出せない映画があって、とても困ってるんですよ。もう気になりすぎて発狂しそうなので、ちょっと一緒に考えてくれませんか」


「大げさだね、きみは。なんだね、言ってごらんなさい」


「大部分の記憶がおぼろげなんですが、たしかですね、主人公がどこかの施設に収容されている殺人犯に協力を求めるシーンがあるんですよ」


「やれやれ。そんなの『羊たちの沈黙』に決まってるでしょうに。ほら、FBI訓練生のクラリスが、元精神科医で囚人のハンニバル・レクターに助言を求めるシーンがあったでしょ。ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの代表作なんだから、このくらい思い出せないようでは映画凡人の名が廃るよ」


「いやぼくもね、真っ先に『羊たちの沈黙』を想像したんですよ。でも、どうも違う気がして」


「なにが違うって言うんだい」


「たしか舞台がね、イギリスなんですよ」


「イギリスだって、それを先に言いなさいよ。それなら『羊たちの沈黙』のはずがないなあ。イギリスの諜報機関だったらMI6って相場が決まってるんだから、それが出てくるとしたら『007』『ミッション・インポッシブル』『コードネームU.N.C.L.E.』あたりのスパイ映画になるだろうからね。うーん、もうちょっとヒントはないのかね」


「たしか、主人公は仕立て屋なんですけど、なぜかまったく異業種の意外な仕事をはじめるんですよ」


「おいおい、それなら『キングスマン』でしょうに。ただの高級テーラーだと思ったら実は地下にすんごい諜報機関が隠されてたアレだよ。あまりのスーツの恰好よさにコリン・ファースのファンが激増して大変だったんだからね。きみも“マナーは紳士を作る”ってセリフは真似したでしょう。そうか、やっぱりスパイ映画だったか」


「いやいや、待ってください。『キングスマン』くらいぼくにもわかりますよ。さすがに間違えないですし、もっと根本的に違うんです。たしか、伝統的な学校が出てくるんですよ」


「伝統的な学校? だとしたら『キングスマン』と違うな。たしかに候補生たちが試験に挑んだりするけど、あんな秘密裏に動いてる組織が伝統的な学校なんて作らないからね。どんな学校なのよ」


「そうですね。古めかしい北欧建築で、ああそうだ、芝の生えたグラウンドの上で棒状の道具を持った学生たちが不思議なスポーツをやってましたよ。近くにたっぷりと白いひげを蓄えたおじさんが立ってましたね」


「そりゃ『ハリー・ポッター』でしょうに。そのおじさんはダンブルドア学長で、魔法の箒にまたがって空を飛ぶクィディッチって不思議なスポーツが流行ってるんだから、それで決まりよ。しかもクィディッチがメインの話となれば、4作目の『ハリーポッターと炎のゴブレット』の可能性が高いとみたね。ハリーたちがワールドカップを観戦するんだから、間違いない」


「いや、間違いですよ」


「ええっ間違いなの?」


「博士、いいですか。いまや大阪の某テーマパークにも『ハリー・ポッター』のアトラクションがある時代なんですよ。むしろ街に出てハリー・ポッターを知らない人を探すほうが難しいですからね。そんな有名作品をだれが間違えるんですか」


「しかしだね、不思議なスポーツとなると」


「おっと、それについてはいま調べたところによると“ラクロス”と呼ぶ球技らしいですね。棒状の道具はスティックらしいです。でもあまり本筋とは関係のないシーンだったので、とくに掘り下げなくてよさそうですね」


「……う、うぬ。まあ、よいか。となると、もっと確信的なシーンを思い出してもらわないことには手助けのしようがないな」


「ああ、思い出しましたよ。たしか、雪合戦をするシーンがあるんです。あとですね、裁判のシーンもありましたね。それに複数の人たちが文通もしてましたし……そうだ、子どもたちが塩漬けのハムを食べるシーンがありましたよ。どうです、だいぶ確信に迫ってきて」


「いや迫ってないわーい!」


「わわわ、なんですか。そんなに声を荒らげて」


「もう我慢ならんのよ。そろそろこっちとしてもね、『ほな、〇〇とちゃうかー』って言う準備をしてたんだから。次こそは言うぞ、言うぞ、ってやっと決心したのに、なんでそうやっていっぺんに言っちゃうのよ。受け取る側が混乱しちゃうだけだからさ。もっと情報を小出しにしてくれないと、とんちんかんなやり取りにならないでしょう」


「え、なんでわざわざとんちんかんなやり取りをするんです?」


「なんでって、だってそういう流れでしょうに」


「流れってなんですか。博士、ぼく発狂しそうなくらい困ってるって言いましたよね。思い出せなくて辛いんですよ。もう自分が自分でなくなってしまうくらいに、頭が張り裂けそうなんですよ」


「いやあ悪かったよ。わしは、てっきりミルクボーイの漫才みたいなノリで会話をしているんだと思ってね」


「ミルクボーイ……いや、だれも『ミルク』の男の話はしてませんよ」


「違う、そうじゃない。ショーン・ペンが演じたハーヴェイ・ミルクの話ではなくてだね」


「待ってください。博士、いまなんて言いました」


「なに、ミルクがどうしたのか」


「そのちょっと前です」


「えーと、ショーン・ペンか」


「それです! ショーン・ペンです。ショーン・ペンが出てたんですよ、この忌々しき思い出せない映画に!」


「本当かい。そいつは重要な手がかりだな。で、どんなショーン・ペンだったのかね」


「えーと、たしか、銃で人をバーンと殺しています


「ほな、『ミスティック・リバー』やないかい! 終盤でショーン・ペンは愛娘を殺したやつに復讐するんだから、そんなのすぐわかったけども……あれ、『L.A.ギャングストーリー』もありそうだし、『ザ・ガンマン』も怪しいな。おかしい、意外と特定できないぞ」


「博士、この期に及んでなにをふざけてるんですか。ぼく言いましたよね」


「失敬。ついやりたくなってしまってな」


「まったく、博士はいつもそうなんですよ。こうやって大事な場面ですぐ不真面目になる……そうか博士、わかりましたよ。この映画には博士が出てくるんです。文通しながら言葉を集める博士。そうです、博士が辞書を編纂する話なんですよ!」


「辞書か。ほな『舟を編む』やないかーい……すまない悪かった悪かった、冗談だって。もうやらないって言いながらやるのも一興かと思ってな。ちょっとした出来心だったんだから、そんな危ないものは手放しなさいよ。わかってる。きみの思い出せなかった映画は『博士と狂人』なのだろう。スコットランドの仕立て屋でひげを生やした男は、メル・ギブソン演じるジェームズ・マレー博士で、彼が『オックスフォード英語大辞典』を編むんだ。その用例採集の協力者が、実は殺人犯ウィリアム・マイナーだったという実話に基づいた物語なのだな。だから落ち着いてくれたまえ。その銃で、わしをどうしようっていうのか。もう映画は思い出せたではないか。おい、その手を下ろせ狂人め。さもなくば、わしがおまえをな……」


「どうやら博士は気づいてないんですね。あなたがどうして博士と呼ばれているのか。そしてぼくがどうして狂人なのか。語り始めから、おかしいと察するべきだったんです。ぼくの最初の会話に、妙な字下げがあるとは思いませんでしたか。その違和感は見過ごしてはいけないものですよ。だって紙のテキストではないんだから、誤植ではないんです。テキストを選択してみればわかります。白地に白い字だったからわかりにくいですが、それ鍵カッコなんです。そしてこの会話のあとも、閉じカッコがつく予定です。わかりますよね。我々のやり取りは、そもそもとんちんかんな一人芝居なのです。つまり、この作品は」


「……『ジキル博士とハイド氏』か」


「ご名答。さあ、負けたあなたは空想の産物となり、ぼくの人格の奥深くへと消え去ります。もう二度と会うことはありませんね、さようなら……ふう、やっと頭が落ち着いてきました。そして次は、これを読んでいる、ふふ、これ以上は言わなくてもわかりますよね。そこのあなた、ちょっとわからない映画があるので、一緒に考えてもらえませんか」


   映画凡人が綴りし駄文~「あなたの番です」~


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