映画エッセイ 第1回「オープニングテーマ」

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さて、と二文字ほど書き出した時点で、さっそく手が止まる。のっけから奇を衒って話を脱線させようにも、まだ本筋を語っていないのだから「さて」で始めてはいけなかった。


落ち着いて水に口をつける。たしかにさっきまでは一発目の映画エッセイにふさわしいファンタスティックでエキセントリックなテーマをきちんと思いついていたはずなのに、いざキーボードに手を置いただけで、右のまぶたがぴくぴくと痙攣してしまう。「さて、なにかを書くぞ」と意気込んでから「さて、なにを書けばいいのか」と思考がオーバーフローしてしまうまで、わずか数秒足らず。たったこれっぽっちの決意で、名前の知らない筋肉が、脳の不思議な領域が、すでに活動限界を訴えている。


そうはいっても諦めてはいけない。冒頭のつかみは肝心なのだ。もしこれがトム・クルーズならば、五〇代半ばであってもアバンタイトルから全力のアクションに挑んで観客を虜にするだろうが、こちとら三〇代半ばの映画凡人なので、身体を張った芸当なんてできない。マシュマロを歳の数だけ口に詰め込むくらいしかできない。


なにせ近ごろ、めっきり文章を書いていないのだ。立場上、こんなことを宣言しては問題なのだが、いよいよ恥を知覚する神経がマヒし、清々しいくらいに大声で言える。マジでなにも書いてない。かつてペンを握る貴重な機会であった宅配便のサインも、いまやインターホン越しに「あ、そのへんに置いといてください」で済んでしまうご時世だ。主要なSNSからも離れて久しく、キーボードを叩いて文字を打つ頻度すら激減し、検索窓に知りたいことを入力する労力よりも、おすすめに上がってくるAIの選んだ動画を考えなくクリックしてしまったほうが楽だなとしみじみ感じている。


この一年間、そのようにしてあらゆる「心理的負担」からこの身を遠ざけて生きてきた。そこで発覚した新事実は、「そんなことをしても心理的負担はゼロにはならない」ことだ。それならばナマケモノのように表皮に苔を生やす前に、まずはなにかを書いてみようではないか、と思い立ったわけである。


もちろん、そんな私的な心情にだれかを付き合わせたいわけではない。そもそもこういった随筆はウィットに富んで、かつネームバリューのある人のものを読みたいものだ。だれだってさくらももこの『もものかんづめ』のほうがいいし、そうでなくともさくらももこの『さるのこしかけ』や、さくらももこの『たいのおかしら』を選ぶに決まっている。どこの馬の骨だかわからないやつが書いた文章をすすんで読みたい奇特な人などいないのだ。「ちなみに、これは富山県の牧場でとれたマケタラバサシの馬の骨ですよ」なんて律儀に説明したって、素性が知れないことには変わりない。


だが実際のところ、「必ず書き手がだれであるかを考慮してから文章を読んでいます」という人も奇特である。映画系の記事を読んでも最後までライターの名前が明かされないこともざらにあるし、取り扱い説明書や成分表みたいに、書き手の存在がわからないものも巷に溢れている。『DUNE/砂の惑星』や『ヒート』だって、テレビ放送版はアラン・スミシー名義であったというではないか。よく知らんけど。


ともかく、名前が知られているかどうかなんて誤差の範囲だ。そもそも小説であれば真っ先に決めるべき人称すらまだ決めていないのだから、我ながら見上げた見切り発車力である。書き手の性別さえ不確定な状態で、いよいよ本筋に入る段階に突入しているが、残念ながら今回の紙幅は尽きてしまったようだ。ああ、紙幅を肥やしたいものよ。デジタルデータなのだから、物理的に原稿が足りなくなることなんてないやろがい、とお思いでしょうが、一回目からそんなに心的負担を与えないでいただきたい。端的に言えば、最初が大事だという話だ。


もっと、なにかこう、一瞬で心を鷲掴みにするオープニングの演出のような、たとえば『インディ・ジョーンズ/レーダース失われたアーク《聖櫃》』における、パラマウント・ピクチャーズのロゴの雪山がすっとフェードして実景の山に変化する瞬間、それだけで映画にくぎ付けになってしまうこと間違いなしであり、あのテクニックこそがエッセイには必要なのだ。まずはそんな魅力的な書き出しから考えなくてはいけないのであるから、これ以上、外野からあーだこーだと言わないでほしい。


さて、なにを書こうか。


~映画凡人が綴りし駄文「オープニングテーマ」~


┃映画エッセイ一覧┃ https://bit.ly/3ofnLGe

この記事へのコメント

  • 六つ里

    面白い。坂元裕二監督みたい。
    2023年02月03日 16:44
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